魔法のようなことをやるより、魔法が無いことを気づかせることのほうがずっとお客さんのためになる
「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」
私はあまり、SFを読まないが『幼年期の終わり』などで有名なクラークの言葉らしい。
ただし、現実に魔法は存在しない。スマホにしろ、自動車にしろエネルギーの流れを非常に効率よくコントロールしている科学技術の土台に上に成り立っている。また、優れたサービスや接客も科学ではないけど、長年の間に人が編み出してきた技術の応用だ。
消費者視点では、「安くて便利になった。バンザイ」で終わりでよいのだが、その土台を我々自身もになっているわけである。その土台を作ることが資本主義における仕事というものであり、その仕事はとても辛いが楽しいものだ。
いましている仕事は、直接のお客さんのためになり、そのお客さんがさらによい仕事をして世の中は螺旋状に良くなっていく。そんな構図が理想であると思う。
ただし、目の前の客にいい顔をしようとか、自分だけよく見られたいという欲が出てくると、話は違ってくる。
自分たちの技術を「本当は魔法じゃないのに、魔法と見せかける」ことをしてしまう。
つまり、自分たちの技術をブラックボックス化して、専売特許のようにするのである。
これは、「3分クッキング」に似ている。本当は3時間かけて煮込まないといけないスープをテレビの画面上は一瞬でできるようにしてしまう。
実はこの煮込んでいるスープは、雑味がつかないように常に灰汁をとりつづけなくてはいけないだとか、火加減を微妙に少しずつかえないといけないだとか、5分おきに材料を少しずつ加えないといけないだとかいう、本当は一番本質的に大事なんだけど面倒で泥臭い部分をひた隠しにしてしまう。
こういうことをやっていると、最初はお客にありがたがられるが、それが当たり前になってきて期待値があがるため、できないとすごく怒られるようになる。
自分たちの価値をうまく表現するのに失敗してしまった例だ。
ITの世界では、自分たちの価値を全く同様に損ねてしまう動きと、逆に価値をうまく表現する潮流の2つが入り混じって複雑な潮目ができている業界だと思う。
前者の例は(不味い)システムインテグレータであり、人月工数による見積もりであり、
後者の例はオープンソースであり、人工知能(ディープラーニング)である。
ポイントは、「自分たちができること」「自分たちがやること」「自分たちのもの」という所有の概念にとらわれているかいないか。
自分たちができれば、他人もできる。ただ、自分たちが苦労して得たことは工夫してよくしたものを次の人に渡していく。
「自分たちのやっていることなんて簡単なんで、最初は教えますがあとはお客さん自身でやってくださいね」というのが実はあらゆるサービスの中で最高のサービスなのではないかと思う。
魔法のようなことをやるより、魔法が無いことを気づかせることのほうがずっとお客さんのためになる。
そんな潮流に乗りたいなと思う今日このごろ。
どこに流れ着くかわからないけど、「自分が」どこに流れるより、その流れ自体を楽しみたい。