haruyuki's diary

高等遊民またはニート。新卒コンサル10年目でうつ発症し退職

リセット次の日、怠惰と惰性

昨日12日目でリセット。しかも2連続。

ものすごく体調が悪くなって、起きたのは9時。

スイムの予定だったが、少しでも泳ごうとジムへ。全く調子が出ずに、サウナで汗だけ流す。大会まで時間もないので、不調になっている場合ではない。きちんとコントロールしていかないといけない。

ジャンクフードが食いたくなって、ウェンディーズでセット2つ食べる。

昼から図書館B(となりの区)へ。

閲覧室PC席で放送大学の「人間にとって貧困とはなにか」の講義を聴く。

音声はほとんどテキストと同じ内容なのだが、予め精読した上であらためて聴くと気付きがある。

実存についての見田の言い方では「尽きなく存在する」ではあるが、西澤先生は「承認を求める存在」と言及していた。

第二回でとくに印象的だったのは、「まなざしの地獄」の中でのNNの幼少時の飢餓について参照しながら、貧困とは物理的な体験ではなく関係の体験として体験されるという部分。

これは、現代人の身体感覚について一般化できるのではないだろうか。

例えば、肥満という減少について。物理的な意味合いにおいては、摂取カロリーが消費カロリーより上回った量が蓄積されるにつれて皮下脂肪や内蔵脂肪として溜まっていたものでしかないが、実際は人が肥え太るという状態は、他者との比較、とくに美しいと称賛される他者と自分との間の格差として経験されるものなのではないかと思う。これは、太っていようがやせであろうが、スポーツをしていないかぎり現代人は一日に10kmも走ったりしなく、肉体的な疲労としては大差ないはずだからである。

このことについては、貧困→肥満という相似関係について自分自身で考察を深めていきたいと思う。

図書館BのPC席で途中から、独り言をしながら音の出るガラケーをいじっているおじさんがいて煩わしいので席を変えた。猛暑ということもあり、平日昼間であっても利用客が多かった。

18時ぐらいになるとだいぶ涼しいし影も増える。移動は11-15時ぐらいは避けたほうが良さそうだ。

この夏はなるべく夜以外は冷房をつけずに過ごして、電気代を節約したいと考えている。

閲覧席では、中小企業診断士の二次対策のテキストを読むが、あまりの眠気で進まず。これもリセットの弊害。

読書猿の「独学大全」を読んで、勉強のいろいろなtipsを読む。この本は著者の衒学的な(知識をひけらかす)ところがだいぶでていて煩わしい部分が多いのだが、tips集としては参考になる部分は多い。分厚い本なのでkindleにいれて適時リファレンスするのによい。

夜は味噌ラーメン、チャーシュー丼、アサヒの瓶ビール。やけくそでコージーコーナーのチョコケーキ。

今日はジャンクな日であった。

夜に、オンライン英会話で英語仙人とレクチャーを受けたかったが、つかまらず。昼のほうがよさそうだ。

英語仙人は昨日、たまたまレクチャーを受けたのだが、英語の勉強法を教えてくれて毎日受けに来いといっていたので受けたかったのだが、またあしたつかまえてみよう。

いろいろが外資系で英語をつかった仕事をしていたらしい。

皮膚科にいって、プールの塩素でやられた皮膚のための塗り薬、かゆみ止めを処方された。いま、心療内科、内科、皮膚科にいっていて、薬が大量になってきたので薬ケースを使用する。

ビールも飲んでしまったので、明日の準備をして寝る。

独学大全のtipsをもとに、行動計画表(予実)とこれから勉強する一億人英文法のラーニングログの目次をモレスキンノートに立てた。

自分はずぼらで何冊もノートをもったり複数のアプリに分けると面倒くさくなってしまうので、一冊のミニサイズのモレスキンに蓄積していこうと思う。

 

まだ「ゼロからはじめる◯◯」で疲弊しているの?

「ゼロからはじめる英会話」

「資産ゼロからはじめる不動産投資」

こういう文言は書籍のタイトルや、スクールの広告などによく使われる。

今日、仕事帰りに書店によっていつものこの「ゼロから」って実際のところどういう意味だろうと考えた。

なんとなく、敷居の低さや準備の少なさからくるとっつきやすさのようなものが売りになっているのではないかと思うが、そういう意味でよってきた学習者は挫折も早いだろうなと思った。

 

本当に成功する人は「ゼロから」ではなく、気持ち的には「マイナスから」スタートしていると思う。

やりたいこと、実現したいことの大きさと自分の現実的な能力や状況の小ささ、このギャップが大きければ大きいほど燃えてくるような人こそが逆境をプラスに反転することができる。こういう人たちにとっては「ゼロから」みたいなあいまいな地点は存在しない。

これは、ビジネスにもいえることで、プロの世界には失敗と成功しかない。「ゼロから」というのはマイナスに陥ることはなくて、常に正の方向に伸びていく現実的でない数直線を想起するアマチュアの考え方だ。

プロの世界での成長とはゼロから誰かが何かもってきてプラスをしてくれるのではなく、何か現状に足りないものを、自分自身で作り出してから次のステップに進むことができるのだと思う。

 

自分は反転学習みたいな考え方がすごく実践的だと思っている。

 

学習塾なら、事前にお題を出しておいて解いてみてわからないところを講義の日に講師に質問する。

投資なら、自分で身銭を切って失敗してみてから自分なりに失敗した理由を分析したうえでプロに相談する

プログラミングなら、まずは自分の提供したいサービスのアプリを作ってみてから、実現できないところをスペシャリストに相談する。

 

知識や、能力に対する飢餓感を人工的に作り出してからそれをスピード感を持って埋めて行く。この際、体系的に、みたいなことは後回しでよい。体系的に積み重ねていても食えるレベルに達するのには10年かかる。

(これは4年制大学出ている人ならわかると思うけど、学問でその道で食っていくためには後期博士課程までいかないと話しにならない。)

最近はこういうことを教育提供側もよくわかってきていて、反転教育を意識したいろんなサービスが出始めている。

 

我々には学ぶべきことが多すぎる割に、残された時間は本当に少ない。

「ゼロから」はじめている場合ではない。

「マイナス」であることを強烈に自分に意識させて、振り子のように勢いをつけて学ぶ必要がある。

 

学びたくない人にとっては、大変かもしれないけど、学びたい人にとっては良い時代になってきていると思う。

 

 

 

 

僕らは自由を、僕らは青春を

幅広い心を
くだらないアイデア
軽く笑えるユーモアを
うまくやり抜く賢さを
眠らない体を
すべて欲しがる欲望を
大げさに言うならばきっとそういうことなんだろう
誇らしげに言うならばきっとそう感じだろう
奥田民生「イージューライダー」より

うん、自分に欲しいのはこういうことだ。
肩肘張らずに、正直に、健全に、目の前のハードルをリズムよく超えて走り抜けながら生きていきたい。




成長依存症はさっさと卒業しよう

2017年新卒採用が本格的に開始したようです。

新卒採用の募集広告では、言葉のバリエーションはあれど、

「チャンレンジのある仕事」
「若手でも大きな仕事を任せてもらえる」

というふうに、成長できることを宣伝にすることが多いように感じる。
 自分が就活しているときは、結構それを会社選びに重視にしていたように思うけど、今思うとそれはなんかずれているなと思う。

確かに普通に4年制大学を出てすぐにお金のもらえる仕事をすることは当然できないので、はじめの2,3年のうちは成長することが新人にとっては至上命題となる。
大事というよりは、それがメインの仕事といってもよい。
だから、その会社で40年勤めないとはいえ、なんとなくその業界で食っていくためには最初の二、三年で成長しない会社なんてない。
二、三年で成長度は差がつくかもしれないが、それは業界の違いによる質的な違いか、本人の成長しやすさの問題のように思える。
つまり、企業をどう選ぼうが成長できるわけで、もっと別の視点が必要になってくると思う。これは下記の本などが参考になる。

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう



そうはいっても成長は新人にとって至上命題である。初期は自分自身の成長に対する狂ったような執念があるのは悪くないが、これが新人と呼べない時期になっても続くのはちょっと具合が悪いと思う。

特に新人のころはハードワークに依存して仕事を覚えるというスタイルがあるが、これはかなり早く頭打ちになるばかりか、周りに悪影響も及ぼすようになる。
社内にはベテランに近い年次になっても、ハードワークによって自分の知見を広げたり、こだわり抜いたりする人が何人かのもいるが、こう人は結構煙たがられることが多い。
基本的にやる気があるし、色々知っているので頼りになるメンバではあるんだけど、大抵こういう人は自分が成長できるかを重視するあまりあまり人を助けないし、1つの仕事に時間をかけすぎて成果が上がらないということがある。
年次とハードワークの割りに出世してないので、社内評価もなんとなく低いしあまり尊敬もされていないのだが、本人は結構楽しそうに仕事をしている。

こういう人をみると成長を売りにした就活広告のイメージの行き着く先がこうなんだな、と妙に感慨深くなる。

自分の成長はなぜ必要なのかといったら、ほんとうの仕事、つまり顧客への貢献をよりよい形で行うための必要条件だからだ。

そのことを忘れないようにして、「成長依存症」はさっさと捨て去って、熱意を持って貢献することに注力しよう。
自己満足の成長であれば、それは趣味でやろう。

人間は自分が何を考えているかすらわからない。だから、可能性があるという話

ブログを再開して二週間くらい経った。
毎日ひとつのペースで記事を上げてきた。

これをやってみて良かったことは、精神衛生が良くなってきたと感じる。そのことについて書きたい。

ブログは、自分の今の考えていることを(読んでる人からしたら微妙かもしれないけど)、人が受容できるレベルにまとめて、発信して、なんらかのフィードバックを得る。

この一連の流れで、良いのは自分の発言(ここでは考え方)に一定の責任を持つということにあると思った。

かの「7つの習慣」の序盤にこんな言葉がある。
自分の頭の中にある地図、思い込み、つまり基本的なパラダイムと、それによって受ける影響の程度を自覚し、理解するほど、自分のパラダイムに対して責任を持てるようになる。
ここでいうパラダイムとは、物事を見るときの色メガネのことで、常識や偏見や思想と行った人間のものの見方のこと。

考えを叙述するということは、曖昧なものを言葉にする必要がある。そのため、言葉にする過程で自分の考えていることを理解するようになる。理解した上で他者への影響をフィードバックを得ることで、責任を持つようになる。

自分の考えに責任を持てなければ、他者の言葉や考えも真の意味では理解できないものだ。未成熟な人々は、自分のとらわれている常識や偏見が通用しない状況に直面すると相手の考え方を反射的に否定することが多い。
これは、自分の考えに責任を持てていない、自立をしていない状態にあるということの証拠だ。

私は、どんなことでもブログを書くことによって内面世界を伝えていくことは、自分のことを理解するのにかなり良いツールになっている。これが、精神衛生が優れてくる理由になっている。

人間は、自分が何を考えてるかわからない生き物である。
これは逆に言うと、まだ顕在化していない知性をどんな人も持っているということもあるのだけど、これによって様々な悩みの方が先に表出してきてしまうのだと思う。

この、まだ現れていない未知の知性が自分にはある、という考え方はとても魅力的だ。ただし、そのためには自分のよって立っているところ(パラダイム)を理解して、謙虚に認めるところから始めなくてはいけない。

なので、今日もブログを更新する。

完訳 7つの習慣 人格主義の回復

完訳 7つの習慣 人格主義の回復



オープンになれないのは甘え

今日、大学時代の先輩と久しぶりに飲んだ。
日頃自分が考えたことや思ったことを正直な話せた。

逆に、普段こういう考え方や今の会社や仕事に対する思いをを全然職場の人と話せていないことに気づいた。

それはなぜだろうと少し考えた。
これはひとえに、職場の人を競争相手として警戒している自分がどこかにいるのだと思いついた。
これは自分にとって、結構受け入れがたいショックなことなんだけど、思い当たる節が幾つかある。
仕事の間の関係なんだから、包み隠さず自分のことを話す必要は必ずしもないが、それが最近チームとうまく馴染めきれない理由なのかなと思った。
割と、よく面倒見てもらえたり、可愛がってもらっている部分があるのは理解してるので、自分のそういう未熟さや甘さを寛容に受け止めてくれていたのだろう。
どこかで優しい大人に甘えている子供な自分がいることに気づいて少し凹んだ。心に釘を刺して月曜日から過ごそうと思った。
自分の課題をオープンにできないことは、自分に厳しいのではなく他者に甘えているのだ。

もちろん、今日の飲み会はすごく楽しかったですけどね。

欲しがってるのは、幸せじゃなくてしがらみになってないだろうか

「望んでも手に入らないものがある」

こういう状態に動物はストレスを感じるように出来ている。人間ももちろんそうなんだけど、厄介なところは精神的なもの、ただ自分が持ってなくて他人が持っているだけのものにもストレスを感じること。

なぜ、俺はこんだけ働いているのにあいつより給料が低いのか?
→仕事の質が低いからです
なぜ、俺はこんだけ仕事が出来て経験もあるのに一流企業に入れないのか?
→学歴がないとか英語が出来ないとかありふれたスキルが無いのでリスクが高いからです。

答えはいつだってシンプルなのに、そのことに目を向けないで他人のせいにする。
他人のせいにすること自体が自分の立場の弱さを証明してしまっているのに、それすらも気づかない。

でも、そもそもそんなに高給とか一流企業ってよいものなのか。
高給なら生活も犠牲にしないといけないし、一流企業は会社のブランド維持のためのそれなりのプレッシャーもあるだろう。

欲しがっているのは、幸せじゃ無くて変なしがらみになってないだろうか。

エネルギーの向けどころを間違えて変なところに行かないように注意しなくてはいけないと思う。